fc2ブログ
3.11から3年。
あの時自分はちょうど仕事から帰ってきて部屋で食パンを食べてました。
そうしたらあの大きな揺れがやってきて。
2014031102.jpg

なんだか視界がグニャグニャしていて、怖いというより全然現実感がなかったのを覚えてます。



それから何か月かたった時くらいに「まだまだ人手が足りないのに、段々とボランティアの数も減ってきてしまった」という記事を読んで仙台を行ってきました。
神奈川から東京までが活動範囲の限界だった出不精の自分でも事が事だったので緊張とかしてるどころではなかったです。

むこうで写真は禁止でした。被災して現地の人たちの心のケアも十分でない時期だったので、そのへんのルールは結構厳しかったです。
トイレも自分のような外部の人間が使うのは仮設トイレで、完全に現地の生活してる人たちとは別々にして、プライベートが強く守られていました。(もちろんボランティアの内容によっては現地の方々と話したり子供と遊んだりということはありました)

2014031103.jpg
自分はバスで海の付近まで連れていかれて、民家の泥除去。
数人のグループを作って被害にあった家に津波で溜まってしまった大量の泥を外に出す作業。
バスで現地に近づく間まだまだ悲惨なままの風景が目に飛び込んでくるのでちょっと泣きそうになりました。

20140311.jpg
でも、あんまり泥とりの作業中やそのあとも暗い話はしなかったのが印象的でした。
実際にそこの近くに住んでいる方も自分のグループにいて、地震が起きたときのことを話してくれたりしました。
とても前向きな人でした。
「あそこに見える建物あるだろ?そこは乾燥ワカメ作ってるとこでな津波の時はみんな膨らんじゃって大変だったんだとさ、こんな言い方不謹慎かもしれないけど、ちょっと想像するとおかしいよね」
なんてことも。

仕事の休みの関係で結局自分は1日でひきあげ。
帰りの夜行バスまでの数時間、ちょっとだけ観光気分になって伊達政宗が作ったという仙台城を目指すものの迷って時間をくったために開園時間内にたどりつけず、そのまま特になにもせずに帰ることに。















なんてことを今になるまで結構忘れていました。
書きながら思い出していました。
忘れようのないような記憶でも、忘れてはいけないような記憶でも、実際はちょっとずつ忘れていってしまう。

だからこうして時折思い出して、覚えていかなければいけないのだな。
そんな風にちょっと思いました。

小学生の感想文みたいな締めですが今日はこのへんで。


関連記事
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック